名古屋グランパスを日常生活の中でゆるく応援するブログ
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標記の件、楢崎選手が2018シーズンをもって現役を引退することとなりましたので、お知らせいたします。
◇氏名
楢崎 正剛選手(ならざき せいごう)
◇出身地
奈良県
◇生年月日
1976年4月15日(42歳)
◇ポジション
GK
◇身長 / 体重
187cm / 80kg
◇経歴
三和スポーツ少年団 → 香芝中 → 奈良育英高 → 横浜フリューゲルス → 名古屋グランパス
◇出場記録
J1リーグ通算 631試合
J2リーグ通算 29試合
リーグカップ通算 71試合
天皇杯通算 49試合
AFCチャンピオンズリーグ通算 19試合
XEROX SUPER CUP通算 2試合
◇獲得タイトル
Jリーグ優勝(2010)
天皇杯優勝(1998※横浜フリューゲルス、1999)
◇個人タイトル
Jリーグ最優秀選手賞(2010)
Jリーグベストイレブン(1996、1998、2003、2008、2010、2011)
Jリーグ優秀選手賞(1997、1998、1999、2000、2002、2003、2004、2008、2010、2011)
◇代表歴
日本代表 77試合
1998、2002、2006、2010 FIFAワールドカップ出場
U-23日本代表オーバーエイジ選手として、2000年シドニーオリンピック出場
◇コメント
「2018シーズンをもって24年の選手生活を終えることになりました。
新しい年になり、新シーズンへ向けてスタートを切ろうとするこの時期にこのような発表になったこと、最後にゴールマウスの前でプレーする姿をお見せできず終わってしまったことを、申し訳なく思います。
横浜での4年、名古屋での20年、良いことも悪いことも全てが夢のような経験、最高のサッカー人生で後悔はありません。
2つの愛するクラブ、横浜フリューゲルスと名古屋グランパスで一緒にプレーした全ての選手、現場のスタッフ、クラブスタッフ、関係者の皆さん、また、長くプレーしてきた日本代表においてもともに闘った仲間やスタッフ、協会関係者の方々。いつも支援していただいたパートナー企業の皆さん。多くの皆さんのおかげでここまでプレーすることができました。その全ての方たちから刺激をもらい成長させてもらえたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
そして何より、新人だった頃から応援してくれたフリューゲルスサポーター、99年に移籍してきた不器用で若かった僕を受け入れ、信頼して、愛してくれた名古屋グランパスのサポーターの皆さんにはいくら感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
これからはプレーヤーとしてではなく、違った形でクラブや日本のサッカーの発展のために力を尽くせていけたらと思っています。
24年間多くのご声援をいただき本当にありがとうございました。」
◇代表取締役社長 小西工己
名古屋グランパスへ多くの勝利と数えきれない笑顔をもたらしてくれた楢崎選手。
本当に24年間お疲れさまでした。
私が楢崎選手と共に過ごしたのは、その選手生活の最後の二年間に過ぎませんが、偉大な実績の通り、力強くチームを率い、全力で闘い続けてくれた二年間でした。
ひたむきなプレーでチームを鼓舞し、また常にファン・サポーターの皆さんを思いやる楢崎選手の姿に、強く共感するとともに、私自身の心の支えでもありました。
2017シーズン、J1復帰への想いをたぎらせながらゴールマウスを必死に守り続けてくれました。試合後に率先してチームの音頭をとってスタジアムの一体感を創り上げてくれた姿は、これまで楢崎選手へ抱いていた寡黙でストイックなイメージとは大きく異なる姿でした。
また、なかなか思うように出場機会を得られなかった2018シーズンですが、黙々と練習に取り組む姿に真のプロフェッショナルとしての姿勢を見させてもらいました。
「楢崎正剛。俺らの誇り。」サポーターの皆さんと同じ思いを、今、私も抱いています。
今度はプレーヤーとは違った形で、グランパスや日本サッカーの発展のために、一緒に闘えることを心から楽しみにしています。
楢崎引退決断の裏――ユニホームを自ら脱ぐことが許される者、脱がされる者
【記者の目】日本代表での活躍はもちろん、クラブ史上初のリーグ優勝に導いた2010年のパフォーマンスなど、GK楢崎正剛(42)がキャリアの中で残した足跡は偉大だ。偉大すぎる。
そんなレジェンドの終わり方が、こんな不完全燃焼な形であっていいのだろうか。担当を離れて8年が経っても、名古屋の情報は逐一入っていた。例えば昨年。楢崎が紅白戦にも入れず、満足なトレーニングができていない状況を聞いた時は胸が痛かった。それでも12月1日、楢崎と直接話した際には「現役続行の方に意識は傾いている」と話していた。このままでは終われない――“熱”を感じた。
それを奪ったのが、クラブの強化部だった。
実は、J2長崎への移籍が決まった元日本代表FW玉田圭司(38)だけではない。楢崎にもリーグ最終戦から3日経った昨年12月4日に同年シーズン限りでの契約満了が通告されていた。プライドが傷つけられたのは想像に難くない。
通常、功労者に対してはシーズン終盤あたりにフロントが次に向けたシーズンへの意思を確認する。「プロの世界はユニホームを自ら脱ぐことが許される者、脱がされる者に二分される」と話したのはプロ野球の中日ドラゴンズで監督を務めた落合博満氏。楢崎は紛れもなく前者だったはずだ。
数年前から楢崎が現役引退の仕方を考えている、という話は耳にしていた。綺麗にユニホームを脱ぐ。応援してくれたサポーターに感謝の気持ちを届ける。それらを奪う、あまりにもリスペクトを欠いた行為ではないだろうか。
(06〜10年名古屋担当 飯間健)
名古屋は8日、元日本代表の名古屋GK楢崎正剛(42)が現役を引退することを発表した。11日に引退会見。4度のW杯出場、J1リーグ最多631試合出場記録を持つレジェンドは、盟友の元日本代表GK川口能活(43=J3相模原)と同じシーズンでスパイクを脱ぐ決意をした。
本当に周りのことを第一に考えている人だった。忘れもしない10年のJリーグアウォーズ。名古屋にクラブ初優勝をもたらし、GKでは史上初のMVPに輝いた。楢崎自身にとって初のリーグ優勝。感極まった表情を見せたが、MVP受賞に関しては「皆で止めてきたし、前にデカい奴がいて、よくボールが当たっていたので。MVPは闘莉王で良かったと思う」と周囲のサポートに感謝した。
名古屋で長年ともにプレーしたJ2京都DF増川隆洋(39)が話したくれたことがある。「1チームに30人も選手がいれば、不平不満も出てくる。でも、そういう時にナラさんが音頭を取って月に1度くらい飲み会を開いてくれていた。それで一致団結できていた部分は大きかった」。自身は孤独なポジションで体を張り続けた。でも周りを孤独、孤立させることはなかった。心優しき守護神。気難しい人が多いGKにおいて、楢崎は異質だった。
(06〜10年名古屋担当 飯間健)
どこまで仲がいいんだと思う。自他ともに認める、同じAB型の変わり者、楢崎正剛と中沢佑二が同じ1月8日に現役引退を発表した。
日本代表で世界を相手に戦ったGKとセンターバック。守備の名コンビ。お互いの去就について話し合ってはいただろうが、まさか節目が同じ日になるなんて…。ビックリしているはずだ。
2人と縁が深い“日本最強”のホペイロ(用具担当)、J2京都の松浦紀典氏は、本当に寂しそうな声で、ショックを受けていた。
中沢がプロ入りを夢見て、東京Vに練習生として電車で通っていた時は、名門ヴェルディにいた。その後、楢崎率いる名古屋で、長く守護神を支えてきた。
「ボンバーもナラも引退なんて、ショックすぎて、しばらく立ち直れそうにありません」と言っていた。もちろん、プロだから、すでに京都で今季の初仕事を、いつも通りしっかりと終えたところだったのだが。
ホペイロの仕事は、とにかく多岐にわたる。それを松浦氏から何度も教えてもらった。当時の若きボンバーは、おにぎりを持って文字通り手弁当で、練習に通って来ていたという。あまりに一生懸命でいちずな青年ボンバーに、松浦氏は、自動販売機で飲み物を買ってあげ、ハイと手渡すのが日課だったという。今となってはいい思い出だと感慨深げだった。
楢崎は、とにかく「まっちゃんに任せておけば大丈夫」が口癖だった。名古屋でも日本代表でも、ずっと用具から何から、任せっきりだった。
楢崎セットともいうべき、少し大きめの黒いポーチがあった。GKグローブなど、商売道具が丁寧に入れてあり、松浦氏が管理していた。
その中に、化粧品のような、透明の液体の入ったプラスチック製の小さなボトルがあった。よく見ると、テープで「スゴイ水」と貼り付けてあった。
聞けば、試合前に楢崎はおまじないのように、必ずこの水でGKグローブの手のひらから指先まで、内側の部分を程よく湿らせ、感覚を研ぎ澄ませてから戦場であるピッチ、勝負を決するゴールマウスに立っているのだという。
その液体を用意しているのは松浦氏だった。結局最後まで「スゴイ水」の成分も採取地? も「企業秘密です(笑い)」と教えてもらえなかったが、あの安定感あふれるセーブの裏には、こんなおまじないのようなサポートがあった。
松浦氏に2人の共通点を聞いた。「日本代表で活躍するような選手はみんなそうですが、とにかくサッカーに真摯(しんし)に、どこまでも真剣に向きあう選手でした。特にナラとボンバーは際立っていました。絶対に手を抜きません」。ずっとすぐそばで見てきたから、松浦さんも一切手を抜かない。きっと互いに同じプロとして、いい影響を受けていたのだろう。
松浦氏には“大きな仕事”が残っているような気がしている。まだ去就に関する発表はないが、もし、今季も京都でプレーすることになれば、最愛の2人の引退に最もショックを受けていること間違いなしの、あの闘将のメンタルケアだ。
楢崎、中沢とくれば、名トリオのもう1人は“やんちゃな末っ子”、もちろん田中マルクス闘莉王。2人の思いも背負い、存分にピッチで暴れるDFを徹底サポートする仕事も含め、松浦氏に休みはない。
【八反誠】
W杯4大会を経験した元日本代表GK楢崎正剛(42=名古屋)の引退を受けオーストラリアAリーグ、メルボルン・ビクトリーMF本田圭佑(32)が8日、思いをつづった。
遠慮なく言う本田と、言わずにぐっとのみ込み、静かに1歩引いて見守る楢崎。その生き方は正反対にも映るが、絶対的な結び付きがある。「恩師」であり「手本」で「尊敬」する偉大な先輩の節目に本田からのメッセージを。
◇ ◇ ◇
楢さんがどんなGKだったかと聞かれれば、プロには特に凄(すご)さが分かるGKだったと表現します。フリーキックの時もそうでしたが、対峙(たいじ)した相手に対して、常に冷静にプレッシャーを与えるあの能力が、楢さんの最大の特徴だったと考えています。
そしてあの冷静さが、味方全員にも絶妙な自信をもたらすことができるというのが、楢崎正剛のすごさだったと思います。
初めて楢さんに会ったのが僕が17歳で(星稜)高校2年生の時で、あれから15年たちます。今でも会うと「お前は俺の中ではまだ17歳」ってよくイジってきます。
でも、本当に当時からいろんな意味でめちゃくちゃだった僕を、どんな時でも包んでくれた、偉大な人格者です。僕にとってはお世話になった記憶しかない、恩師のような存在です。
楢さんが日本サッカーにもたらしたすごさは、ここで簡単に説明できるような軽いものではありません。ワールドカップに4回も出場した事実が、全てだと思います。
今後は方法論は問わないので、引き続き、多くの人に勇気を与え続ける、これまで通りの楢さんで居続けてほしいと思っています。
自分の損得だけでは動かない、素晴らしいお手本でした。こう口で言うのは簡単ですけど、実際は、自分を犠牲にしないとできないような言動が多くて、それを実行し続ける姿を、人としてずっと尊敬しています。