名古屋グランパスを日常生活の中でゆるく応援するブログ
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
楢崎引退決断の裏――ユニホームを自ら脱ぐことが許される者、脱がされる者
【記者の目】日本代表での活躍はもちろん、クラブ史上初のリーグ優勝に導いた2010年のパフォーマンスなど、GK楢崎正剛(42)がキャリアの中で残した足跡は偉大だ。偉大すぎる。
そんなレジェンドの終わり方が、こんな不完全燃焼な形であっていいのだろうか。担当を離れて8年が経っても、名古屋の情報は逐一入っていた。例えば昨年。楢崎が紅白戦にも入れず、満足なトレーニングができていない状況を聞いた時は胸が痛かった。それでも12月1日、楢崎と直接話した際には「現役続行の方に意識は傾いている」と話していた。このままでは終われない――“熱”を感じた。
それを奪ったのが、クラブの強化部だった。
実は、J2長崎への移籍が決まった元日本代表FW玉田圭司(38)だけではない。楢崎にもリーグ最終戦から3日経った昨年12月4日に同年シーズン限りでの契約満了が通告されていた。プライドが傷つけられたのは想像に難くない。
通常、功労者に対してはシーズン終盤あたりにフロントが次に向けたシーズンへの意思を確認する。「プロの世界はユニホームを自ら脱ぐことが許される者、脱がされる者に二分される」と話したのはプロ野球の中日ドラゴンズで監督を務めた落合博満氏。楢崎は紛れもなく前者だったはずだ。
数年前から楢崎が現役引退の仕方を考えている、という話は耳にしていた。綺麗にユニホームを脱ぐ。応援してくれたサポーターに感謝の気持ちを届ける。それらを奪う、あまりにもリスペクトを欠いた行為ではないだろうか。
(06〜10年名古屋担当 飯間健)
名古屋は8日、元日本代表の名古屋GK楢崎正剛(42)が現役を引退することを発表した。11日に引退会見。4度のW杯出場、J1リーグ最多631試合出場記録を持つレジェンドは、盟友の元日本代表GK川口能活(43=J3相模原)と同じシーズンでスパイクを脱ぐ決意をした。
本当に周りのことを第一に考えている人だった。忘れもしない10年のJリーグアウォーズ。名古屋にクラブ初優勝をもたらし、GKでは史上初のMVPに輝いた。楢崎自身にとって初のリーグ優勝。感極まった表情を見せたが、MVP受賞に関しては「皆で止めてきたし、前にデカい奴がいて、よくボールが当たっていたので。MVPは闘莉王で良かったと思う」と周囲のサポートに感謝した。
名古屋で長年ともにプレーしたJ2京都DF増川隆洋(39)が話したくれたことがある。「1チームに30人も選手がいれば、不平不満も出てくる。でも、そういう時にナラさんが音頭を取って月に1度くらい飲み会を開いてくれていた。それで一致団結できていた部分は大きかった」。自身は孤独なポジションで体を張り続けた。でも周りを孤独、孤立させることはなかった。心優しき守護神。気難しい人が多いGKにおいて、楢崎は異質だった。
(06〜10年名古屋担当 飯間健)
COMMENT