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楢崎が西野ジャパンを語る

元川悦子さんが東洋経済のウェブ版でサッカー記事を書いていたところ、我らが(私の)楢崎の記事(前編)(後編)がありました。

いつまで表示されているかな?


元日本代表GK楢崎が強調する「腹のくくり方」
2度の16強入りを知る男の歓喜と落胆のW杯
元川 悦子 : サッカージャーナリスト 2018年05月15日
2002年ワールドカップ日韓大会、ロシア戦での楢崎正剛(写真:Press Association/アフロ)
「西野(朗=日本代表監督)さんは勝負師の一面を持っている。選手起用や交代でも『えっ』と驚くことをするときがあるから。何をやるのか、僕自身も興味津々です。
やっぱりワールドカップを戦ううえで大事なのは、腹のくくり方。僕が最後に行った2010年南アフリカ大会の時も、岡田(武史監督=JFL・FC今治代表)さんは自分のやりたかったことを捨てて結果を出しましたからね」
西野監督が名古屋グランパスを率いた時(2014~15年)の教え子である元日本代表の守護神・楢崎正剛は自身の過去4回のワールドカップ経験を踏まえつつ、2018年ロシア大会に挑む新指揮官と後輩たちの動向を見守っている……。
W杯に4大会出場したのは楢崎と川口だけ
1998年フランス大会から過去5回のワールドカップに参戦してきた日本だが、4度も世界舞台に赴いたのは、川口能活(J3・SC相模原)と楢崎の2人だけだ。1998年と2006年ドイツ大会は川口が正GK(ゴールキーパー)を務め、楢崎は2002年日韓大会で全4試合に出場した。
「1998年にワールドカップの雰囲気を肌で感じたんで、『次は自分が出る』『必ずピッチに立つんだ』と強く思っていました。2002年の時は(当時26歳と)若かったし、まだまだ発展途上の中でプレーしていた感覚だったんで、GKとして出来上がった感じはなかった。
(監督のフィリップ・)トルシエも信頼してくれたかどうかは自分の中ではわからなかった。結構ギリギリまで出るかどうか予想がつかなかったけど、使ってもらえたのは自信になりましたね」と彼はしみじみ言う。
16年前の日本代表は実に勇敢な戦いを見せた。当時の彼らは「フラット3」というDF(ディフェンダー)が3人の守備戦術を採っていたが、初戦・ベルギー戦(埼玉)を2-2で引き分けた後、守備陣が滞在先の葛城北の丸(静岡県・袋井市)で話し合って、高すぎるラインを下げる決断をした。
それが次のロシア戦(横浜)勝利の原動力になったことはよく知られた話だ。楢崎も、もちろんその輪の中に入っていた。
「僕自身、初戦の2-2は日本が史上初の勝ち点を取ったことより、勝てなかった悔しさのほうが強かった。みんなが同じ気持ちだったから、北の丸の風呂場での話になったんだと思います。
ワールドカップは強豪チームしかいないわけだし、『試す場所』じゃなくて『結果を出すところ』。選手が臨機応変に判断してやるのは自然の流れなんです。そもそもサッカーにはやっちゃいけないことなんか何もない。僕はそう思いますけどね」と楢崎は自己判断を結集させて勝ち取った自国開催の16強を改めて述懐していた。
日本が初勝利を果たした2002年の対ロシア戦
日本中が興奮と熱狂に包まれた祭典の中で、最も印象に残っているのは、稲本潤一(現J1・コンサドーレ札幌)の先制弾を守り切って1-0で勝ち切ったロシア戦の後、当時の小泉純一郎首相がロッカールームにやってきたことだという。
ロシア戦で決勝ゴールを決めた稲本潤一(写真:picture alliance/アフロ)
「ワールドカップ初勝利ということで、自分たちが盛り上がりすぎて、小泉首相が何を言ってたのかよくわからなかった(笑)。
でもよく覚えています。無失点勝利というのもGKの自分にとっては大きかった。ホントにいい経験になりました」と彼は若かりし日に思いを馳せた。
それから8年後。
楢崎は代表キャリアの集大成となる2010年南アフリカ大会に挑んでいた。1998年と2006年は主に川口がアジア予選を戦ったが、同大会は予選からずっと楢崎がゴールマウスを守った。2009年6月に敵地・タシケントでウズベキスタンに勝って南ア大会の切符を手に入れた時もピッチに立っていた。その経験値を自信に、ベテラン選手としてチームを牽引するつもりだった。
2009年6月6日、アジア最終予選でウズベキスタン戦に勝利し4大会連続のW杯出場を決めた。手前中央が長谷部誠、中央右が楢崎正剛(写真:JFA/アフロ)
しかし、岡田監督率いる日本代表の大会前の状態は最悪だった。5月の韓国との壮行試合(埼玉)を0-2で完敗した時は危機感が最高潮に達し、指揮官が進退伺を申し出る事態にまで発展した。直前合宿地のスイス・サースフェーで、岡田監督は超守備的戦術へのシフトを決断。
最終調整に当たる国際親善試合のイングランド戦(グラーツ)から楢崎と川島永嗣(フランス・メス)を入れ替え、キャプテンも中澤佑二(J1・横浜F・マリノス)から長谷部誠(ドイツ・フランクフルト)へと変更する。これはあまりにも衝撃的な出来事だった。
自分の中で背負うものが大きくなりすぎた
「『代表はもう南アで終わり』という気持ちがあったんで、すべてを懸けて臨んでいたけど、いかんせん本大会までの流れがよくなかった。それによって自分の中でも背負うものが大きくなりすぎたのはあるかもしれない。『結果が出てないな』『何とかしなきゃいけない』と考えすぎているのを、岡田さんに見透かされた気がしますね(苦笑)。
ただ、僕自身は本大会になれば絶対にうまくいくと思ってたし、そういう準備もしていた。自分が出て出場権を決めたチームも南アが初めてで、『絶対に本番も戦うんだ』という気持ちも強かった。
プレーヤーとしてもいちばんいい状態にありましたからね。だけど、イングランド戦直前に『永嗣、出ろ』とGKを代えられた。正直、ショックでしたよ。『このためにやってきたのに、いったい、自分は何をしてるんだろうな……』とね」
2010年のW杯南アフリカ大会の初戦カメルーン戦で国歌を聞く控えメンバー。左から3人目が楢崎正剛(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
楢崎、中澤のところに大ナタを振るうだけでなく、中村俊輔(J1・ジュビロ磐田)まで外した陣容で挑んだ日本は、初戦・カメルーン戦(ブルームフォンテーヌ)で本田圭佑(メキシコ・パチューカ)の先制点を守り切って勝利。
そこから快進撃を見せる。デンマークにも勝って2位通過し、決勝トーナメントに進出した。ラウンド16ではパラグアイとPK戦までもつれこんだ。惜しくも駒野友一(J2・アビスパ福岡)の失敗で8強入りはかなわなかったが、結果的に指揮官の大胆采配が奏功する。楢崎はチームの勝利を喜びつつも、複雑な心境のまま1カ月間を過ごしたという。
「ホントに最後だと思っていたから、悔いだけは残したくなかった。チームにマイナスになることだけはやっちゃいけないと思って、あまりしゃべらずに過ごしてました。永嗣に対しては何の恨みもなかったですよ。
永嗣が名古屋にいた時(2004~06年)から能力の高い選手だって知ってますし、彼の活躍、日本の勝利が大事だと思ってたんで、至って普通に見守ってました。泣き言も言わなかった。僕はそういうことは誰にも言ったことがない。結局は自分が足りなかっただけですからね。ただ、チームが勝って盛り上がる中、そこに自分がいないっていうのはね……。『自分もそういう立場で試合に出てやれたのに……』って、そのことばっかりでした」
楢崎 正剛(ならさき せいごう)/Jリーグ・名古屋グランパス所属のプロサッカー選手。1976年生まれ。元日本代表でワールドカップに4大会連続で選出された(2018年5月、筆者撮影)
1998年2月のオーストラリア戦(アデレード)で21歳の楢崎を代表デビューさせたのは、くしくも岡田監督だった。
かわいいはずの教え子を絶望の淵に追い込んで、非情なまでに勝利を追求した指揮官の姿というのは、彼の脳裏にも深く刻み込まれている。
ワールドカップでの成功は並大抵の覚悟では得られない。だからこそ、ロシアに挑む西野監督と選手たちは腹をくくって1つになるしかない……。楢崎はそう考えている。
今の日本代表には失うものはなにもない
「23人も選ばれれば、全員が同じふうに『よかった』と思えることはないかもしれないけど、多くの選手が喜び合わないといけない。一体感は間違いなく大事ですよ。2002年も2010年もそういう雰囲気は確かにありましたから。
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今回の監督交代によってそういうものを作れると思って判断したんでしょう。
周りはいろんなことを言うだろうけど、中ではしっかり固まってやるべきですね。もう1つ言うなら、誰もがあこがれる場所なんで、とにかく頑張ってほしいです。
日本人で何人立てるんだっていう特別な場所で、喜びにあふれたプレーをしてほしい。僕は心からそう思います」
ロシア大会2カ月前に監督交代に踏み切った日本代表に失うものは何もない。4度大舞台を経験した大先輩の貴重な言葉を糧に、総力を挙げて戦うしかない。
(文中敬称略、5月16日配信の後編に続く)

元日本代表・楢崎正剛が42歳の今も戦う矜持
「弱点」といわれる日本人GKの厳しい現実
元川 悦子 : サッカージャーナリスト 2018年05月16日
開幕が迫るワールドカップロシア大会を前に後輩たちにエールを送った楢崎正剛(筆者撮影)
「今の日本代表GKは、まず永嗣(川島=フランス・メス)がいて、柏レイソルの中村(航輔)君もいいし、周作(西川=J1・浦和レッズ)もだいぶ感覚が戻ってきている。東口(順昭=J1・ガンバ大阪)は本人的にケガというのは痛いと思う。だけど自分も経験があるけど、顔のケガは意外に早く戻れたりする。コンディション次第でしょう。(注:4月21日に負傷交代し5月12日の試合で復帰)
代表発表前はナーバスっていうほどじゃないけど、やっぱり意識はする。『常連だから』とかじゃなくて、『パフォーマンスがいいから選ばれている』という感覚が欲しいもの。僕自身も4回経験ありますけど、そういう心境でしたね」
1998年フランス、2002年日韓、2006年ドイツ、2010年南アフリカのワールドカップに参戦している名守護神・楢崎正剛(J1・名古屋グランパス)は、ロシアワールドカップ最終メンバー23人の発表を目前に控えた面々の思いを代弁していた。(前編記事:『元日本代表GK楢崎が強調する「腹のくくり方」』)
長年しのぎを削った楢崎と川口能活
楢崎が日の丸を背負った12年間を振り返ってみると、正守護神争いは川口能活(J3・SC相模原)との一騎打ちが長く続いた。1996年アトランタ五輪代表から順調にステップアップしてきた川口とは違い、年齢が1つ下の楢崎は年代別国際大会に出た経験はない(注:2000年シドニー五輪にはオーバーエージ枠で選出され出場した)。
それでも187㎝という日本人離れした長身と冷静沈着な判断力、セービングやコーチング(後方から味方へ指示を出すこと)などの総合力の高さが買われ、弱冠20歳だった1996年に日本代表に初招集され、1998年2月のオーストラリア戦(アデレード)で初キャップを飾った。そこから2人は長きにわたって、よきライバルとしてしのぎを削り続けた。
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「能活は1つ上だし、ずっと自分が追いかける立場だった。
代表入りした当初はライバル意識が多少なりともあって、ちょっとギスギスしたところもあっただろうし、あんまりしゃべらなかったけど、能活が海外に行った2000年代前半の頃からはそういうのはなくなりましたね。今では『特別な絆』のようなものがあると思います」と楢崎は神妙な面持ちで言う。
そこに割って入ろうとした選手は何人もいた。曽ヶ端準(J1・鹿島アントラーズ)や都築龍太(現さいたま市議会議員)など能力の高いGKはいたが、2008年に代表デビューした川島は頭抜けた向上心と闘争心を押し出して2人に挑んできた。最終的に2010年南アフリカ大会で正守護神の座をもぎ取った後輩GKのポテンシャルの高さを、楢崎は彼が2004年に名古屋に移籍してきた当時から見抜いていたという。
楢崎正剛にとっての川島永嗣の存在
「永嗣はあの頃からセービングの幅も迫力もあったし、能力は高かったですね。感情が出る傾向も強かったけど、若いし、特徴としてはよかったんじゃないかなと思います。それにつねに野心があふれまくっていた(笑)。『いつ出ても自分がベストなことをする』『最高のパフォーマンスを見せる』という姿勢を前に出していた。僕は名古屋に20年いますけど、激しくポジション争いをした感覚を唯一抱いたのは、永嗣ですね。
そういう野心はプロとして当然、持っていなきゃいけない部分だけど、彼は人間としても向上心がすごかった。語学の勉強にしても、名古屋に来た頃は『芝生』って単語がわからなくて、僕のほうが『グラス』って教えた記憶があるくらいなのに、今では5カ国語を操る語学の達人になってる(笑)。そういう貪欲さは能活にも通じるところ。やっぱり上に行く人は共通性がある。それが僕にあったらなとうらやましく感じますね」と楢崎は心からのリスペクトを口にした。
5月上旬の取材で川口・川島両選手としのぎを削ってきた経験を、笑顔も交え振り返った楢崎選手(筆者撮影)
3人が高いレベルで競い合っていた時代が2010年の南アで終焉を迎え、その後の日本代表は川島が正守護神として大きくリードしている状況だ。
南アと2014年ブラジルのワールドカップ2大会の経験値に加え、欧州8年間のキャリアを武器に欧州5大リーグ1部のレギュラーに上り詰めた35歳の守護神の実績は比類なきものがある。その現状を楢崎は少なからず危惧しているようだ。
「確かに今は外国人GKがJリーグに増えて日本人GKが試合に出られないケースも多くなっているけど、代表でも永嗣にもっとプレッシャーをかけるやつが何人も出てこないといけないと思います。チームのバランスも大事かもしれないけど、やっぱり強い個性を持った選手が必要。
技術的には昔に比べると上手で、いい選手が増えているけど、GKは精神的なことが多くを占める。そこは大事ですよね」とベテラン守護神は語気を強める。
日本代表キャップ数77試合、Jリーグ通算660試合出場という偉大な記録を誇り、2010年JリーグMVPに輝いている42歳の楢崎も、今季はオーストラリア代表GKミチェル・ランゲラク加入のあおりを受けたところもあって、J1でベンチ外が続いている。Jリーグ・ルヴァンカップは何試合かベンチに入っているものの、これほど試合に出られないのは1995年のプロ入りから初めてのこと。だからこそ、日本人GKの苦境をより一層、痛感する日々だ。
「日本人GKが『弱点』って言われるのはすごくつらい。かかわってる側からすればね。今までの日本サッカー界では『いいFWとは?』とか『優れたMFはどういう選手か』といった話は出ていたけど、派手な動きや目立つ仕事だけじゃない部分はサッカーにはたくさんある。『何がいいGKなのか』ってところにもあまり目が向いてなかったと思います。そこを何とかしなきゃいけないという危機感は強いです」
こう語気を強める楢崎だが、引退後に指導者に転じる意思は現時点ではまだ固まってはいない様子。「選手としてこのまま終われない」という思いが、彼自身を突き動かしている。
日本のGKを少しでも変えていきたい
「今のような状況でも、自分が日本のGKを少しでも変えていきたいって気持ちはあります。自分の経験を伝えるのはなかなか難しいことだし、将来的に指導する側に回るとしても勉強していないといけない。ただ、たくさんの経験をしてきたことは財産だと思うんで、恩返しの意味でも還元していかないといけないですね」と楢崎は自分に課せられた責務をしっかりと認識している。
もう1つの使命は、1993年Jリーグ発足時からJに名を連ねる「オリジナル10」の名古屋を立て直すこと。2017年シーズンに初のJ2降格を味わい1年でJ1復帰を果たしたものの、2018年の彼らは再び下位に沈んでいる。2017年に就任した風間八宏監督の手腕の高さは川崎フロンターレ時代から実証済み。それに呼応する選手たちの自覚と意識を高めていくことが大切だと楢崎は考える。
2017年3月、J2での試合に出場していた楢崎選手(写真:築田純/アフロスポーツ)
「強かった頃の名古屋は選手と監督の両方に発信力があった。選手が監督の言ってることしかできないようでは、ハッキリ言って、勝てないと思います。監督が示す方向性に沿ったプレーをしないとバラバラになるけど、サッカーはそれだけではうまくいかない。若い選手は自信がないから主張することが難しいんだろうし、そういう心境もわからなくはないけど、恐れていたらダメ。それは日本代表も一緒でしょうね」とベテランGKはあえて苦言を呈した。
名古屋グランパスOBに期待を寄せる楢崎
確かに、名古屋から現日本代表の中核メンバーへと飛躍していった川島、本田圭佑(メキシコ・パチューカ)、吉田麻也(イングランド・サウサンプトン)の3人は強烈なパーソナリティと自己判断力を兼ね備えている。名古屋OBの彼らがロシアで大きなインパクトを残すことが、名門クラブの苦境脱出のきっかけになる可能性は、ゼロではない。
「麻也はプレミアリーグで戦えてる自信が大きいでしょう。普段がワールドカップ以上のレベルだったりするわけだから、心の余裕はあると思います。残留争いの大一番を前にした5月5日のエバートン戦で退場したのは『何してんねん』って言いたいけどね(苦笑)。圭佑は圭佑でメキシコリーグが早く終わって実戦から遠ざかるのはちょっと厳しいし、永嗣も所属先メスのフランス2部降格ショックがあるかもしれない。でも、そういうのをうまく力に変えていくことができるから、あれだけの実績を残せている。ロシアをまた彼らのワールドカップにできればいいと思います」
2017年10月に愛知で行われた日本代表合宿で吉田麻也(左)と川島永嗣(右)と笑顔を見せた楢崎正剛(中央)(写真:JFA/アフロ)
後輩たちにエールを送りつつ、名古屋での定位置奪回に燃える楢崎。ピッチに立ち続けることで、彼は日本人GKの底上げを図っていくつもりだ。


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